カルチャーと健康

98歳ミチおばあちゃんのエッセイ

まめ餅

 今年の正月も案じていた通り、私自慢の雑煮は売れない。正月といえば、重箱の見事な料理に数々の好物が並びそれに雑煮と印でおしたような行事だったが…。
皆が集り元旦、勢いづくと、周りから、僕はラーメン、私はチャーハンと声が上る。聞き間違いでないか今日は元旦だゾ。
 しかし世の中、変ったのだ。初日の出で拍手打って最敬礼し、父親の前に、ねむり足りない目をこすって、起こされた子供達がチンマリ並び、お年玉ののし袋を目の前に置かれて視線はそこへ…。という時代は去った。
日の丸の旗が軒にひらめき、どこかから君が代が聞える。…いつの事だったろうと空想しているうちにラーメンはまだ!…なんて呼んでいる。
わが家の餅も年々量が少なくなる。
母さんの雑煮を食べないと正月の味がしない…なんてお世辞かも知らないが云っていた息子も今は大皿に青や赤、黄色々の野菜に又パセリをのせてパラパラの粒の何とかをかけた油くさいものにスプーンをのばしている。

 正月も終った。私一人の感謝のうちにわが家の餅が消えたある日、仲よしから小包が送られて来て何気なく開くと、ワッ!雀の目のように黒くキッチリ切った黒豆のぎっしりちりばめた豆餅が四角四面になって入っていたのだ。
もう言葉もない。餅が好き、豆餅が大好きと騒ぎもしないのにこれはどうしたこと…。
悲しかったり、嬉しかったりの餅の思い出があった。
鳩の目の玉のように切り餅の切り口からポッカリ丸い白い黒豆、餅と豆は仲がよくて噛じるといろいろ思い出の味がする。
 昭和十九年、夫は五年間の南京出征を終えて一応家庭に戻ったが、又も二ヵ月後、突然旭川二十五連隊へ、再三の召集で入隊した。この先、敗色濃い日本は何事が起るかわからなかったから家族も一緒で旭川に住んでよしという。
夫婦と幼い娘、三人が入った官舎は、立派なものだった。前入居者は戦死したため、急に家が空いたのだ。広い家に二人の当番兵が交替に来て朝、夕家の回り薪割りゴミ掃除、夫の馬の始末も全部してくれる。生れて始めて、木の香りのする風呂に入り、週二回、社宅にはめいめいの家の希望のものを無料で受取れる。米一升買うことさえ出来ない市民であった私は、飢えたように砂糖もパンも牛乳も買った。
夫は当然のように朝、夕きっちり帰ってくるし時には戦地で共に苦労した仲間が思いがけなく訪れて夜の明ける迄しゃべり二人でそのままコロンと寝ていると野戦場はこんなか…と思ったこともあった。
ほんの僅か植えた向日葵と唐キビは旭川の暑さの中でアッというまに伸び、隣家に住む副官宅の南瓜は、塀の下から伸びわが家の庭で沢山の実をつけた。
旭川のおどろくべき暑さもすぎ、唐キビのヒゲがからし色にほせる秋の末、今度は最も恐れていた移動命令が来た。
不安の日々ではあったが一家三人のささやかな幸せはたった半年だったけど経験した。
今度は行く先は、ビルマかニューギニアかとの声がある。
私は仰天したけれど夫は冷静だった。やっと三人になったのに又二人に戻る。
「とりあえず今は苫小牧附近に行く、そのあとすぐ隊から家はどうする?と聞かれるから行き場がない、ここにいる。と頑張るんだ。とにかくここは物資がある夫は何度も何度も念を押した。
札幌へ戻っても私は頼る相手がない。一も二もなく残ることにして年の暮。
「二区五条何号舎入居」という書類に翌日印をおした。

 娘と二人の暮らしになって三ヶ月の間に、官舎の空きの都合、兵隊の入れ替りで再び、もっと手狭な家へと四回目の引越しを命じられた。
これが隊としても最後の温情、これを断れば出るより他はない。
残留と決めた隣家の曹長の奥さんが、枯れ果てたイバラのようになっている垣根の隙間から顔を覗かせて「奥さんも残りですね、淋しいですね、私の実家は浜ですけど苫小牧ぢゃ余りに遠いし。子沢山ですから残ります。今に鮭を持ってきてあげますね」
優しそうで人の良さそうなこの人の表情で私の心もやわらいだ。部隊長の奥さんは一番先きに東京に帰ったし、若々しい少佐の奥さんは東京の有名なふとん店の娘さんで、とつくに居ないという、でも顔なじみが一人できて少し勇気がわいた。

 身回り品だけ持ってきたはずの荷物も僅かづつだが、ふえて女一人での引越しはむづかしそうだったが今後は遠慮せず手早くことを進めた。
この家は明治未期建設の瓦屋根の木造、板の間からところどころ中の土か壁色のものが見える。
ポンプは木製の柄で水は茶色、フロは五右衛門風呂で何度も湯の中に浮いてくる木片につかまりそこねてヤケドをした。部隊でも「お化け屋敷」と呼ばれている。
もう五月には気づけば何日もないのだった。
正月には、夫に五日間の休暇があるという。行く先は多分南方であろうと云うが、軍艦のやりくりがつかないという噂もある。
多分このボロ家に帰って来て来年早々また出発するであろう夫に、私は何とかして好物の餅のつきたてを食べさせたいと思った。
計画をたてたがる私だったが餅米はあるけど臼(うす)がない。あれさえあれば私にだって搗ける。
気付いて顔なじみの官舎専門の魚屋にきくと、ある、ある、と承知してくれた。
「けど奥さん、臼を何で運ぶ?」魚やが言うと、さすがに威勢のいいおかみさんが
「父さん、××さんとこの馬を借りてあげなよ」と奥から声がかかり、そうだナ、とおやじさんが呼応した。
「ン、あれ、ロバコみたいにやさしい馬コだからナ」と再び頷いた。
臼を借りる農家は近くだという。
話は具体化してきて今後は私のほうがひるんで、札幌の母に応援を頼んだ。

 案じられた空模様は晴れて、夜来の雪は晴れ、青空にち切れ切れの白雲が浮いている。
私は重装備をして勇躍家を出た。
魚やの店先きに品のない小馬が、そりに曳きづられる格好でポツンと立っている。
オヤジさんが出て来て、私に手綱を持たせ、「右に曲るときは右に綱を引く、左へゆく時は左へ引く。走る時は両方の綱を引くんだからネ」
と、せっかちに教える。
「えッ!おじさんがつれて行ってくれるでないの?私は馬の近くに寄ったこともない、出来ないよ恐ろしい」「んだって俺は店があるだろよ、馬によっちゃ人をみるって言うけど、これはまことにおとなしいんだ。ロバと同じだ。
今教えた通りにやれば、馬鹿でも行くさね」私は、右、左、と小馬の首を綱でためしてみておそるおそるなでてみた。馬の背にのる時は背がとどかなくオヤジさんが、「エシ!」と私のお尻を持上げてくれた。
おそるおそる歩き出した。馬は正直にパコパコと歩き始める。ふとふりむくとオヤジさんはもう店の中に入ったのか姿はなかった。
馬も私も黙ったまま雪の道を小半町もゆく。うしろで子供の声がした。ふとふりむけば何のことはない喧嘩だ。また正面に向き直すと、馬がキチンと直角に右に向いて歩き始めている。あ、ふり向いたから右の手綱を思わず引っ張ったんだ。とあわてて左をぐいとひいた。今度は小馬がくるりと曲ったまま歩き始めた。これでは逆の道だ。
また右を引くと馬はぐるりと半径分回って完全に右を向き、右折をしたままひたすらまっすぐ歩く。
目的の家は魚屋から一本の道をゆき、僅か右側に曲ればいいものを、農道の小路の、雪道をふんづけ前進するばかり。
私はうかつにもバックの方法を聞いてこなかったのだ。
背を叩ったり、撫でたり、綱をひっぱってみたり、ゆるめたり、そのために小馬は跳びはね、走り、止る。
私はする術もなくなって黙々と綱を握りしめたまま、馬の行くままのっていた。

 どこへ行くのか人も馬もわからない、一本の雪道を進むばかりだ。
暮れやすい冬の日はもう肌を刺すような寒気がせまる。農家で道をききたいと思ったが、手綱をはなして聞きにゆくわけにもゆかないし逃げたら大変だ
年の暮だと言うのに寒さのせいか人の姿もないのだ。

 はるかに、ほっかぶりの男父が歩いてくる。「小父さーん」
さけぶとこの人は手ぬぐいの脇から耳だけだして、俺けェ?と寄ってきた。
わけを話し、地図を見せると、「全く反対だべさ、なんだってこんなとこまで。やあやあひでえな、」と私の顔をみて 俺 街まで行くんだけど臼、借りてやっからそりに乗んなさいと手綱を曳いた。
遠くの農家の小さい燈りが灯って見えてきた。
小馬はくるりと向きを替え、何事もなかったように白い鼻息を吐いて行く、小父さんは、
「何で将校の奥さんが、なんもこんなことしなくてもいいべな。餅ぐらいどこでもくれるのに」とほっかぶりの中から大きな声で言った。
臼や、きね、蒸器、そばでみると皆大きい。荷物をそりに乗せると、私はそばに坐らせて今度は速度を早めた。万が一、私がこれをして臼でも転がったら雪中でどうなっただろうと冷汗がでる。
家に着き、オンボロ官舎のせまいせまい土間に臼を据えてくれた小父さんは、馬を返して来てやるわ、と又手綱をとった。
「今日一日ごめんね、」私は小馬の背を叩き、何度も何度も詫びたが、ヒンとも云わず去って行った。正月まではあと四日。
夫は明日帰ってくる。あさっては餅を搗こう。友達が皆で三升もの酒をゆずってくれたという。多分五日の休暇にすべて消えるだろうけど、まくら元に置いて寝ると水でも手ぬぐいでも翌朝にはカチンカチンに凍っている旭川のボロ家、布で濾しても水は茶色だ。しまりの悪い玄関戸の外にはこれ又、見事な石炭がゾロリと置いてある。木片二、三枚ですぐ熱くなる五右衛門風呂、風呂の中に浮いている木片の上手にチョンとのっかってゆでだこのように暖まる。
木の香しいかをりの風呂を楽しんだのも旭川兵舎だったし、苦労してやっと搗いた餅の、第一番に神、佛の分を作り、次はでっかい目の玉の豆もちだ。
夫はそんな時、絶対手伝ってくれない。ウワーとかん声を上げる時、ポンと起きて「やあーすごい、やっぱりお母さんだ。第一番に頂くか」と手を出すのが豆もちだった。
何か“えんぎ”がいいのだそうだ。少しばかり塩気も入る。やわらかいふかふかはやっぱりおいしい。
何故か我が家の主は、「餡もキナコ」も苦労して支度したのに、雀の目玉のように黒い丸い豆がじっと見つめるようなマメ餅をいくつもいくつも食べた。
すでに彼の学友の何人かは戦死している。前途を思って私は、最後の食べものでもあるまいしユックリ噛ってねと言いたかった。

 豆餅の箱のフタを開いてぢっ!と見る。私の搗いたのとは違ってきめこまかくきれいな肌で目の玉も大きい。
きっと私の手元を見ているんだ。窓から覗めるようにこっちを見る。有難う!一枚をてのひらにのせて何回目かの有難うを云った。

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