カルチャーと健康

98歳ミチおばあちゃんのエッセイ

札幌市西二十丁目界隈 商店街・ロシアのパン・チンチン電車と林間学校

 西二十丁目界隈の店やは、電信柱のてっぺんに、握りこぶしみたいなオレンヂ色の電灯が点くころになると、一層元気づく。
 友だちの家からの帰り途、北一条通り三井クラブの前をうつむいて本を読みながら歩いていると、
「お嬢ちゃん、泣くんぢやないよ。もうすぐ日が暮れる。早く家へ帰ってお母さんの顔を見なさい」
 優しそうな声に驚いて振りむき見上げると、どこかのお爺ちゃんが私の頭をなでている。
 夕暮れ色の電灯の下をうつむいて歩いているうち、鼻水が出てきてとまらない。服の袖口でぬぐって夢中で本を読んでいるうしろ姿は、叱られて泣き泣き歩く姿に見えたのだろう。
 私の門限は、電燈のつく時間。特別メータのついている以外は、夕方いっせいにどの家にも電気が送られてきてパッと明るくなる。
 公設市場は夕方から午後七時ころがピークだし、買物籠を下げたお母さんたちが帰って、店の白いカーテンをかけたあとでも、
「玉子を下さい」
「氷ありますか?」
など急ぐときは大声でガラス戸を叩くと夜中でも飛起きてくれる。
 勉強中の夜、消しゴムのないのに気づき、近くの文房具やに買いにゆくと、たった五銭の買物なのに、
「まだ勉強?えらい、えらい」
と小母さんが花の絵の綺麗な本の栞をおまけにくれたりもする。
 帰り道、富口新聞店の前を通るとまだカーテンを閉じない丸見えの広いガランとした店内の大机の前で、ずんぐりむっくり型のアイちゃんの父さんが腕組みし何か思案していた。
 午後三時ころ、配達の若者たちが集まって、自分の受持ち分を受取り、机の上でチラシをはさんだり数えたりして飛出してゆく。そのとき、一番重いのを例のベルトで肩にさげ大号令と共に出かけてゆくのは父さんだ。

 一町余り離れている松の湯も町内一、二の超多忙な店だった。
 自分の家の小さい風呂は皆嫌いで、綺麗な花柄のセルロイドの風呂道具を抱えて私たちは揃って松の湯へと急ぐ。二、三丁先の角の広い板堀を回した邸の田村の京子ちゃんが何時か仲間に入ってきたから、西郷さん一家の引越したあとの淋しさが次第に薄らいで来た。
 京子ちゃんの父さんは退役軍人で元大佐だったというが、お母さんが亡くなってから秋になるとコスモスと矢車草だけがぼうぼう生い茂っている庭の中に、はげた頭に正ちゃん帽、どてらのような着物を着て何時もつっ立ていた。私たちは松の湯の菖蒲湯の日を待ちかねていて、そこの暖簾に花と葉が結えられると真先に駆けつける。
 夕食前のひととき、私ら一同はそろって湯船にとび込むと、あちらこちらに一束にたばねた葉がゆらゆらと浮いていて、新しい湯の中でいい香りを漂わせ、みんなと一緒に泳いでいるように見える。とろんとするほど長湯して、めいめいのおかっぱ頭の中央に菖蒲の葉を一枚づつ横にしてさし、上ってきた。
「一年中病気をしないんだって」
「長生きするんだって」
 濃い緑色の葉っぱはみずみずしい色にしゃんとしている。私は仲間の頭にさしている葉の根ッこの香りをかいだ。
 普段の日でも松の湯は忙しい。ことに夕食後の六時から八時近くまでは人と人とがぶつかり合い、芋を洗うようだとはこのことで、そのときは、小母さんに替って小父さんが番台にどっかり坐り、手早くきちんとお金を受取る。石鹸下さい。手拭一本。髪を洗います。それぞれの料金が違うから、小父さんは右手、左手を交互に使って目を光らせてお金の勘定をする。
 午後九時過ぎてホッとしたころ、店屋の主、店員がどっと入りにゆく。入ったと思ったら出てくる人もあるし、忘れるくらいの長湯の人といろいろある。
 「一年の疲れは湯に流そう」十二月三十一日と初湯の正月元旦は早朝からあふれるほどの湯を出し人々でごった返すから湯気と人いきれで胸がつまるほどになった。
 夜、私は大抵の時間、母のそばの机で勉強している。静かなとき、ふっとかすかに風の流れのように遠くから聞こえてくる声があった。
「ロシアのパン、おいしいパン、やき立てパン」
日本人とは違う声の、その低く静かな音はどこか遠くの国、アンデルセンの童話にでてくるお爺さんの声だ。
 その声は、時どき過ぎる電車の音や、人の話声で途切れ、遠くなったり近くなったりしながら次第に寄ってくる。私は母からお金を貰い玄関から飛出すと、もうはや隣りの澄ちゃんが母さんと立っていた。新聞やの富口さんやブリキやの種ちゃんたちの一団の、がやがやしたざわめきも聞えてくるようだ。
 オレンヂ色に流れる電灯の光の下でみるお爺さんの髪はまっ白で赤い顔、鼻はわしのように高くて、ぐんと曲っていた。
 売るパンは、クリーム、味つけ、ジャムの三種。私はとろりとしたクリームパンが大好きだ。
 無造作に紙にくるむとお爺さんは青い目をぐるりと開いて
「おいしい?好き?」
と必ずきく、首から下げている大きい籠にはもういくらも残っていない。多分アイちゃんの家のあたりで空っぽになるだろう。おいしいよ。と答えるつもりで私はふと、その顔を見上げると、口を三日月のようにして笑いうつむいている。うつむくと不思議なことに、まぶたの中から一枚の皮が出てきてその大きな瞳の上にかぶさった。私たちの二重まぶたは横に一本筋があるだけなのに。余りに私がまじまじと顔を見るものだからしまいにお爺ちゃんも私をじっと見つめ返し、やさしく巾広の声で「ナニ?」と聞いた。
「あのお爺ちゃんの目、中からもう一枚の皮がでてきて二重まぶたになるのだよ」
 私があとで皆に教えると、そんなはずがないと反対する。玩具のねむり人形を出してきて横にしてみると、人形の目も、中から別のが一枚出てきて瞳をかくした。
「ほんとうねえ、どうしたんだろう」
皆はなっとくゆかないけれど、不思議という顔をした。
「あの人はどこの人なの」
母に聞くと、
「亡命ロシヤ人なの。戦争に負けたあと日本に仕方なく来たんでしょ、可哀そうだねえ」
と言った。道理で淋しい声を出すし、闇の中を帰ってゆくうしろ姿もとぼとぼしている。大きな瞳の奥からするすると出てきたもう一枚のまぶたが、その青い瞳をすっぽりと覆ったのを私は何時までも忘れなかった。

 アイちゃんが来て、四丁目十字街にある京屋呉服店に行こうという。呉服店といっても、文房具でも服でも何でも売っている。別に京屋に行く必要もなかったのだけれど、たまに友だちと電車に乗ってみたかったのだ。
 このごろは電車の台数もふえて表通りのブリキ屋の種ちゃんの家は、レールの下の木製の枕木がゆれる度に、ごとんと響くなどと言っている。
 電車は、空中高く横に張ってある電線に、電車の屋根に付いている二本の鉄棒みたいのをつないで電気が通じ走るのだ。円山公園終点駅に着くと、車掌さんが電車からとび降り、屋根の鉄棒の端をぐいと引っぱってぐるりと方向転換し空中の架線にひょいとつなぐ、一度でピタリとつくことはむずかしくとび付いては何度もしなおして苦労するが、見ているほうはサーカスでも見るような気分だった。
 うまく運転している途中でも空中線と電車の棒の接触がわるくてときどきバッ!と火花が散った。近所の男の子たちは線路に一列に並んでそれを見ていて、
「おッ、スパーク、スパーク」
と、手を叩いて喜んだ。

 日曜日私たち女の子六人で電車に乗った。窓辺には板張りの腰掛けがあり頭の上に、吊り皮が下っていて、あれにぶら下ってみたかったけれど届くものでない。三人ずつ向き合って掛けた。
 電車の一番前に運転手さんがハンドルを握っていて、目の前にぶらさがっている紐をぐいと引っぱると、一番うしろに立っている車掌さんの目の前の紐が「チン」となる。
 まだ乗客のあるときは、後部の車掌さんは、まだだよと伝える代りに
「チンチン」と、例の紐をひっぱり二度鳴らす。
 私たちが乗って腰をかけると、とたんに、チンと一度鳴り「がたん」と動きだした。
運転手さんは始めから終りまでうしろを向かない。チン、とチンチンで車掌さんと会話が済む。間もなく首から黒い三十糎巾ぐらいの古い鞄を下げた車掌さんがやってきて、中からペンチ型の鋏を出し、
「どこまで行くの」
ときく。黒鞄の中には、鋏に切符、お金と何でも入っているようだった。
 みんな自慢の赤いリリアアンで編んだきれいな手さげ袋から財布を出して一人一人の分十一銭を出して往復切符を買った。片道なら六銭だけれどこれだと一銭安くなる。細長い紙の切符の半分に鋏でパチンと切り口をつけて車掌さんは、金をざらざらと鞄に入れた。
 切符をなくしたら帰りの電車に乗られない。いつもしゃべりつづける私たちも今日ばかりは緊張してしまって笑いもせず、口もきかず、片手に袋、片手に切符をしっかり握った。
 間もなくくる春祭りには電車の外側にビッシリ花をつけた絵のように綺麗な電車が通るけれど、それには私たちは乗られないし只見せるだけだから、やっぱり乗って矢のように走り、いつも、とことこ歩く店屋の前も西十一丁目の大通小学校前も、窓から振りむく間もなく去ってゆくほうが胸がおどった。毎日乗りたいなァ、と思ったけれどできるはずもないし、ごとごと右左に動く車内でお互い体をぶつかり合いながらただ笑っていた。
 三吉神社の前をすぎる。札幌神社は、北海道全体を、三吉神社は札幌全市を守る。と教えられている私たちは、言い合わせたようにちらりとそちらをみて、すぐ気どった顔をしてお互いの顔をじっと見合って嬉しい笑いがこみ上げてくるのをこらえ、手さげの中の財布の上をきっちりおさえた。もう京屋は三丁目ほど先、次の停留所で降りなければならない。アッと思う間のことだった。

 じりじりと暑い日がつづく、夜明けは早く、夜は何時までも暗くならない。夏は本当に好きだけれど、夏休みは何故か淋しい。
 隣家の澄ちゃんは田舎のお爺ちゃんの家へ、家族三人でちょいちょい行くし、富口新聞店は従業員慰安と言って海の家を借り、代るがわる行っている。一緒にと言ってくれるけれど、知らない人も男の人も多いし遠慮することが多い。
 家族の多い家は何となくざわめくけれど、私は、朝の涼しいうちに勉強し、夏休み帳を書くともうすることがない。本を持って友だちと行ったり来たりするが、土までがカンカン石みたいに乾き背中が暑くて日中歩くとぐったりする。学校の友だちたちはどうしているんだろう、とふと思うと、もう長い夏休みはいやだとつくづく考えた。
 ところが今年、天から降ったように嬉しい事件があった。
 大きな邸に住んでいる田村の京子ちゃんの兄さんは大学生だけれど、その友人の学校の先生が一団となって、夏休みの林間学校を始めようというのである。
 場所は円山公園内、日数は十六日間。あっというまに人が集まり、澄ちゃんも田舎ゆきを止めたし、種ちゃんの兄弟、この近くの顔見知りだけでも二十人くらいいる。五十人で〆切って朝九時から午后二時まで、お弁当はめいめいで持って費用はおやつ代と少しかかる。
 初日、一人も欠けずにグランドに集まると、田村のお兄さんが台に上って体操を始めた。私たちはそれを見習って十五分くらい体を動かす。終ると二列になって円山の裏山をランニング、緑濃い山は静かでにぎやかなグランドからは思いもつかない。
 山の平地に座って一休みすると午前十時、紙袋に入ったおやつが配られた。中味は全くバラバラで、開くまでどきどきした。
 みそせんべいを二つ折りにして中に小笛やビー玉や、鈴など入っているカラカラせんべい。カルケット、大きい鈴ぐらいの大きさのシロップ入りゴム風船。五色玉にチョコレート、色とりどりのよーちえんと呼ばれたビスケット。ときには紅色の海ほうづきが入っていたりした。
 始めは
「澄子には少し無理じゃないでしょうか」
 早川さんのお母さんは心配顔で母に相談するが、日増し澄ちゃんは活発になって、前髪をたらした中のおでこは真白、鼻のてっぺんは真赤に陽に焼け頬の皮がむけかけている。
 神経質で、弁当に何時も不平満々だったのが、このごろは毎日持ってくるお握りがだんだん大きくなっているし、手を洗って食べようと、さそっても澄ちゃんは洗わない。
すぐお握りにパクつくのだ。
 午後、私たちは木蔭でひるね、そのあとは、先生が組別に丁寧に勉強を教えてくれた。
 男の子もいるからつられて私たちは木に登り坂道を走り、川底の小石までキラキラとすけてみえる小川に入って、メダカやザリガニなどの小魚をすくった。石をはぐと面白いほど色々の小魚がひそんでいて、驚き、みんなで大歓声を上げた。
 体操、散歩、勉強、おやつにひるねと時間は毎日予定を越えてしまう。私たちは先生にせがんで、「イワンの馬鹿」だの、「母を尋ねて三千里」の話を聞かせて貰いしんみりしたり、やたら興奮したり一日はあっと思うまに過ぎてしまった。
 この私設林間学校でいくつかの歌を習ったけれど、中でも大好きな歌があった。
  フリージア、フリージア、ゆかしい香の
     フリージア。
 山の中の温室の、氷の壁の中で
     春を夢見るフリージア

 先生の自作のものか本当にあるのか知らないけれど、甘く優しく単調なメロディは歌いやすくて森の中で私たちは、せい一杯の口を開けて大合唱した。
 林間学校も終りが近づいたころ、私はふと風邪をひいたようだった、夜寝るとぐっしょり汗をかく、僅かの熱なのに咳が出る。
 あと幾日もないこの学校は楽しくて、朝になるのを待っていたのに母は、
「お前は余りに騒ぎすぎるから」
と注意する。が私はきかない、とうとう休むことになって夏の暑い盛り、倒れるように寝込んでしまった。
 澄ちゃんが猿のように木に登る姿、新聞店のアイちゃんが先頭になって本を読んだり歌ったりする様子、男の子や先生たちと仲良しになって駆け回った山や川。とうとう私はこらえ切れずに服を着て玄関にとび出し、母にひき戻されてしまった。
 私は小さいときから弱くて医師に、
「この子は乾性肋膜炎を起しやすいから発熱のときはすぐ胸に温湿布をするように」
と教えられて以来熱が高くなる度にそれを守った。どんなに高い熱でも湿布をすると、うそのように熱が退く。そのつもりでいたのに今度は少し頑固で、どこか体がだるくて寝汗が出る。とうとうあと数日で林間学校もおしまいとなるところで欠席した。
 泣く泣く休んだけれど、今度は本当にいやなことがひとつ残っている。
 小樽で医者をしている従兄によくよく診て貰おうと母が言うことだった。私は従兄が好きだったけれど昔くさい窮屈なその家のお婆ちゃんが苦手だったのだ。朝、晩の挨拶をお婆ちゃんの前で従兄は畳に手をつき丁寧に言う。ご飯のときは一番上座に坐って炊きたてご飯の真中を自分のによそい、すむと鼻の先に眼鏡をかけて一時間くらい高い声を上げて新聞を読む。
 母のように陽気ではないし冗談も言わない、従兄が病院に出勤すると、問題のお婆ちゃんは通ってくる髪結さんの弟子に、黒くて長い髪を結わせるのだった。
 小さい銅のたらいに熱い湯を入れ、手ぬぐいをしめして髪に当て、きゅきゅと長い時間をかけてくせ毛を直す。そのときのお婆ちゃんの顔は、目をつり上げ口をきっと結び手ぬぐいに力が入ると、自分の体もうしろにのけぞる。その顔が恐ろしくていやだった。嫁さんがいて時々私を手招きし、綺麗な小箱をくれたり、蓄音機でレコードをかけたら?と言ってくれたけれど、窮屈で退屈でそんな言葉も耳に入らなかった。
 母に、「急用があるから」と手紙をよこして、とハガキで頼んだけれど音沙汰もない。札幌のアイちゃん種ちゃん男の子たちの明るい声が耳元に聞こえてねむれず、花柄のかやを吊りふわふわした布団に寝せられても夜中に何度も目をさました。
 今年は林間学校のお蔭で行かないですむと安心しきっていたのに、いやなとこへ、また……だったのだ。
 泣く泣く来たが、従兄は私の裸の背中をポン、と叩いて
「何ごともなし、健康優良児だよ遊び過ぎたんだろう」
と言ってくれた。うれしくてぺこんと頭を下げて明日は帰ろうと決心しその夜は早々と、ころんと寝た。

「勉強がたくさん残っているから大変」
とそそくさと帰り支度を始めると、お婆ちゃんは、
「夏休み中あずかってくれ、と手紙が来ているんだがね」
と言ったので驚いた。
やっとの思いで帰ると、母はけろりとして
「行儀がよくなったこと、これじゃ毎年、夏、冬行かなくちゃ」
と言った。それでも私の帰るのは予測していたのか、テーブルの上に私の大好きなオムレツや紫のつやつやした茄子の新漬が向き合って二人分のっかている。
「絶対に私は行かない、この家から動かないから……」
ぷんぷんした顔をして見せたけれど、母の顔も家の中全部明るくやさしい色に見えた。
 残念ながら林間学校は三日前に終って、新聞屋のアイちゃん、京子ちゃんたち特別頭のいい子は、もうれつに勉強しているそうだ。大通小学校の先生はきびしいから、うかうかしていられない。少しばかり残っている宿題帖を持って、明日京子ちゃんの家へ行こうかなァと考えている。夏休みは今年ばかりは惜しいことにちょっぴりしか残っていない。

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