カルチャーと健康

98歳ミチおばあちゃんのエッセイ

夏にくる人

早く美しい十九才になりたいと思う…なあんて少女趣味の私の古い日記を盗み読みして、夫は腹をかかえて笑ったものだった。
ほんとにあのころは早く大人の仲間入りをしたかったのだが、このごろは待ってくれえーと叫びたいほど一年は早い。
この間、盆提灯のことを書いたはずなのに、もうはや毎度おなじみの提灯をださなければならない。
私は複雑な想いで汗をふきふき押入れの中から見なれた箱を引きよせる。
数日前の蒸し暑い夜明け、私はひさしぶりに電車の中で母と会った。
「あら、いつ帰ってきたの?」と私がきくと、「まちがえた道へ行って戻ったんだよ」
いつも元気で陽気な母はみなれた笑顔で私をみて大笑いする。そこへ、舅と姑、夫まででてきたので私もおどろいた。みんなあの世の人なのだ。目ざめても私の目はうるんですっきりしない。
地元に夫の同級生がにぎやかに幸せな生活をしておられるので、「先生、いつもお元気で羨ましいこと」と言うと、「でも、ときどきふと考えるんだけど、両親と姉たちみんな揃ってがやがややっていた若いころが一番幸せだったと思うよ」との答えがあった。
親に甘えたころ、働いても働いても疲れなかった日々、子供たちのために夜もろくに寝ず頑張った若い日、あれが幸せだったのだなア。
花ならば今年枯れても、またくる春に芽ぶくけれど、人生は一年草だからまたの春はない。
夢をみたせいかメランコリーになって少し考えこむ。なつかしい人たちが、つぎつぎに心をよぎるのだ。
夫が戦地に行って三年たった夏、私と娘は母だけの住む実家に暮していた。
ある日、石鹸のせいか顔にぶつぶつの赤いものが出て、かゆくてたまらない。
薬もないし、鼻の頭からおでこ、口元、めちゃめちゃに赤チンという水薬を塗っていると玄関の開く音がした。
外出中の母が帰ってきたかと飛びだすと中尉の肩章をつけて長靴をはいた凛凛しい青年将校が立っている。絵に描いたようないい男振りであった。
「永井君から頼まれてお嬢さんの靴を届けにきました。奥さんをよんで下さい」
相手は笑いをこらえて、半ば顔を横にむけたり下をむいたりして言う。
アツパッパを着た猿のような女がとびだしたので、きもをつぶしたのだ。
私は進退きわまって奥へひきかえし台所でぐるぐる回ったがどうすることもできない。
手拭いで赤チンの顔をごしごしぬぐうとそのまま出てゆき、「私が家内ですけれど」
と蚊の鳴くような声でいってうつむいた。
相手は驚いて私の顔を、じっと眺め、「どうなさったのですか?」と声をひそめてやさしくきいた。塗った赤チンと内心からのほてりで顔はますますあつくなる、穴があったら入りたいと思った。
映画でみるような美男子に、少しはいいとこを見せたかったのだ。
夫は、小柄だけどめんこいぜ、と私を宣伝してくれていたそうだが、あとで、お前は二枚舌だな、とやっつけられたにちがいない。
その先輩は、自分たちは無事戻れたけれど戦地にまだ残った連中は気の毒だ。
せめて留守家族だけでも力づけてあげようと、グランドホテルで品数のすくない洋食をごちそうしてくれた。三組の家族だったが、その先輩は私の娘の隣りに腰かけ、珍しい食べものをつぎつぎと皿にのせてくれ、自分の料理まで娘のに移してよこした。
よくもおなかにあんなに入ったものと恥ずかしかったが、長い飢餓状態のときだったので私も感激して汁一つ残さず食べさせていただいた。聞けば先輩にも娘と同じ年のお嬢さんがあり、重ね合せて考え、長い留守が可愛そうでならないということだった。
戦後、その人は札幌市立病院長になり、私どもも自分の故郷近くで大家族で平和に暮す日々になった。がある日、私の声が急に出にくくなって体がだるい、首のリンパ腺が三つも四つも腫れた。顔見知りの人にきくと、「きれいなのどですよ、心配することもないけど。
リンパ腺の腫れるのは入歯の調子のわるいときもよくあることだし」とのことでがまんしたが、やっぱり思うようでない。何ともつらいので先輩に診て貰うと、首筋をさぐり口を開けさせ、ポリープだすぐとりましょう。と簡単にことをきめてしまった。
女が数日家を離れるのは大変なこと、小さい子供もいる、二日だけ延期して貰って帰宅すると、夫と母が真っ赤な目をして、「家の中は案じることはない、安心して手術しておいで」
と妙に愁嘆場そのままの顔で言う。何やら娘もめそめそしていた。私も不気味になって問いただすと、私の帰宅前、その先輩から電話がきて「奥さんのポリープ、心配ないと思うけど検査するから、だけどお前も多少は覚悟しておけよ」と夫が言われたそうだ。
「みち子が死んでしまったら、裏に小さい家を建ててみんなで仲良く暮そう」
早手回しにすっかりそれに決めて涙をぬぐっているところに、私が元気よく飛び込んできたわけだった。ぱっくりと私の口を開けさせ先輩はいともたやすく、ポリープを取ってくれた。「こんなに大きかったよ」と見せてくれたが、私には、けし粒ほどにしかみえなかった。勿論良性だった。次は舌のつけ根の横に三つ四つ何かができた。そのときは白衣を着せられて手術場に運ばれ、少しばかり悲壮な覚悟を決めた。
広い手術場で、三、四人同時刻に手術するのだそうだ、局部麻酔だから何の音でも耳に入ってきて、周囲の手術患者が呻くのか自分のか、こんがらかってわからない。先輩は機械で人の舌を引っぱっておいてから患者の心を平静にさせようと思って、ぺらぺら話しかけるのが私もこれには返事のしようもない。十一針縫われて私にはつらい無口の数日がつづいた。病気をするといえばいつも首から上で、中耳炎、蓄膿症、そのたびに私は、げんなりした表情で、先輩の前の小椅子にちんまり腰かけ小さくなる。あやのわるいことに、先輩は耳鼻科医だった。「世の中、誰にでも悩みはあるさ、笑って暮すも一生、愚痴を言いながら生きてゆくのも一生なら、明るく過すほうが得だからね」というのが彼の持論だった。おい、働き過ぎるなよ、人生ほどほどになといつも夫に言ってくれていた先輩の声がこのごろ間遠い。お変りないでしょうねと電話をかけると驚いたことに、手おくれの肺癌であと数日の命なのだと息のつまる奥さんの声だった。
花を愛し、歌を愛し、人生をこよなく大切にした先輩はあっというまに世を去った。
私は提灯を一対しか飾らない。あかあかとともしてこちらを照してみても、去った人も残された者の心にしたって限りなく淋しい。酒にだんご、果物、気のすむまで沸前に供えて私は、夏にくる人を終日まつ。夕風がたつと、待ってましたと池辺の蛙がなく。
何かの虫の声も久々に合唱する。
くるくる回る提灯のききようと、萩の絵は互いに抱きあって、風の吹くまま短夜を過すのだ。雨の少ない今年の夏も、惜しいなあ、あと数日かと私は何度もなんども指を折ってみるのだった。

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