カルチャーと健康

98歳ミチおばあちゃんのエッセイ

市川新之助

歌舞伎芝居は昔から、一に声、二に演技、三に男前、と決まっていたが、そう思い通りに条件が合うものではない。
ところが、何十年目か何代目かにやっと現れたと昨今歌舞伎界では大評判で、一寸したブームを起こしている。市川新之助というその俳優は、祖父は亡き海老蔵、父は今活躍中の市川団十郎だという。
少年時代、菊五郎の息子の菊之助、亡き辰之助の遺児の辰之助と並んで三之助と云われていたが、中でやっぱり新之助は目立つていた。やがてこの人たちが育ったら新しい歌舞伎が生れるだろうと思っていたら何時のまにやら二十三歳の青年になっていて、この世界も面白いものになりつつある、古典大好き歌舞伎大好きの私は小踊りしたいくらいだ。
中でも新之助は、その若さで、前に書いた役者の三つの条件をほぼ完璧にみたし、芸にきびしい勘九郎が、共演した彼を、「歌舞伎の救世主だ、これでこの世界は百年は生きのびられるね」と絶賛したという。百年に一人出るか出ないかの天才である彼は、きびしい伝統のある型もじっくりと考え自分流にして少しずつ変化を見せ、それが又実にうまいそうだ。
芸にはまだ若さがありすぎるが、あの凛とした美しさと姿の良さは類がないと昔かたぎの目の高いファンもほめちぎる。友達からよく聞く、日帰りでも、一泊でも見に行けると言う話、私も飛んで行って目の前で生の芸を見たいと思う。
二十年近く前、数ヶ月東京に住んだことがある。少しばかりは案内も知っているから何も心配していないけれど、今はひざを悪くして杖をつく身だ。それで囲りの者が心配してうんとは言わない。皆は自由に、隣の家へ行くように飛ぶのに私は万が一、転じてあとあと泣くことになると困ると案じていたが、これでは家の中でちんころ猫のように縮まって生きて行くようなもの、源氏物語を演ずると聞いて、絶対に百年に一度の天才を見にゆく。私の堅い決心はここで決まった。しかし肝心の切符の手配が出来ない。
間合わせると、とっくに切符は売切れ、二階の奥の立見席はございます、とそっ気ない答えが戻ってきた。昔、「俊寛」という歌舞伎を見たことがあって、舞台は孤島の岩山にしがみつき声を張り上げ号泣している俊寛僧のあわれな姿の芝居だった。
流人の彼が、たった一人の仲間がゆるされて都へ舟で戻る日、後を追って悲しむのである。
波は荒く、きり立った、たった一つの島だった。私は目をぬらして途中で席を立ち、幸せをほしいと飛び込んだのに、何故こんな想いをさせるのかと胸がわるく外へ出た。
今でもあれは嫌いだし頭が痛くなる。一生涯歌舞伎なんて見るものかとその時決心したのだけれど人間の一時的な想いなんて長くはつづかない。美しいもの、優しいもの、幸せなものには何時の間にか引かされて一年毎に明るいほうに心が動いてしまう。
娘に東京行きを言うと、「あの猛烈な階段がねえ」と私の足元を見てため息をつく。
息子にも一生一代のこと、絶対に見にゆくと告げると、「うーん」と言ったきりだ。
「但し切符がないんだよ」とくどくと、首をかしげた。
ある日思いがけない電話がきて、「満足のゆく席ではないかも知れないけど切符は取れたよ、だけど一人でどうかナ」と息子の案じ声だ。「だったら、一緒に行ってくれる?」
「えッ?僕?だってこんなに忙しいのに」と、彼は仰天してトーンの高い声になった。
当たり前だよ、私はとっくに一人で大東京を二十年ぶりに歩いてくる気でいるし、今を華(はな)と咲く新之助の見事な芝居を第一に、出来れば誰にも言っていないけどなじみの名物深大寺そばを食べて来たい。切符は本当に有難う、半ばあきらめていたのに。
近頃物忘れの厳しい私は最初切符をハンドバックにしまい、次の日はそのハンドバックは持たないことに気付いて毎日ひんぱんに使う机の中の、年中あけしめする別のメモの中にはさんだ。
その翌日、ハンドバックを見ると切符がない。一番最初に入れたハンドバックをさがしたがない。全く忘れて打ちしおれて夕方机の引出しを開くとメモから半分切符の顔が出ている。出かけるまでにまだ日数がある。全くこれぢゃ駄目だ、目の前にある状差しの一番上に差して置こうと決めた。だから毎日その切符は朝な夕な目の前でみる形であったのに、次々と急ぐ郵便物があり、つい切符の前に差したら今度は切符の姿がかくれて、出発まで、何度も何度も行方不明になり私をなやませた。
おふくろが都会のまん中でひっくり返えったら困るなァ、と不安顔で見送ってくれたけれど当分に不安はない。私は二本の足の他に強い頼りになるエンジ色の杖と三本足だ。
二本の足だと左右はたしかだけれど、あとの一本は前後を守る。私は本当に一人旅が大好きなのだった。

さて、その大目的の歌舞伎座の前。小雨まじりの傘の中を二時間も前に着いた私は、古めかしい昔のままの建物の前で何といい建物、としみじみ見つめる。新しくは金さえあればいくらも出来るであろうが、何もかも手ぜまで車の置き所も休み場所もない江戸情趣のこの美しさはたまらない、古色蒼然とした劇場の前は立すいの余地もない人の群れ。
せまい横町まで入り込み、開場の時間を待っている。劇場側も大あわて、客を軒下にと雨をさけさせたり、椅子を引っぱり出してあちこちと走り回る。
瀬戸内寂聴の「源氏物語」は大評判で連日大入り満員今年は寂聴氏が脚色もしたというので一層の人気である。
古めかしい鍛帳の重々しく引かれている舞台の真正面、そこのずーっと後方に当る二等席がやっとかく得した私の席だ「足の悪い母だから椅子席の一番端を」と望んだという。
お陰で役者が出てくる花道のヒョイと顔を出す入口の近く、手を出すとふれる位の近くで、ここならば、天才の光源氏の顔もよくよく見える、いい席だった。私は今日にそなえて補聴器も作りゆうべ初めて、耳にはめ方を丁寧に教えて貰って出発したのだ。
一席もあきもなく、まあ何という様々な人達の集団であろう。カンと一の拆の音が打たれた。
女の子が私の横、花道のあげ幕横の椅子に掛け、右手を横に、ついと上げた。役者が歩き易くのためらしい。不心得な人間が役者に飛びつかないための用心もあるだろう。
去年の五月、源氏物語の上の巻を演じ、今回は始めての舞台「下の巻」をすることになっている。
須磨、明石。光源氏の華々しい栄光の時代から少しあと、人生の哀しみを知る頃からの物語であろう。幕が上るともう絵巻の世界である。紫式部のえがく物語は始めから溺々とたをやかでいて一抹のうれいが漂っている。
宮中の祝宴であるらしく着飾った貴族が次々と参内し舞を踊り女官も華麗に舞う。
女性に慕われて身の置きどころのない光源氏は、羨望も加わって様々の難儀にもぶつかり立場がつらくなる。紫の上は年も若く一番愛した女性なのだが、右大臣一門の権力争いにまき込まれ、臣(みかど)の怒りもうけて須磨へ身を移すよりほかなく又移った直後、明石人道と言う人物の手びきで明石の地に迎えられる。
明石の生活は光源氏にとって一番心安まる平和な生活、明石の君と結ばれて女の子も生れホッとした時、都から光源氏の兄である朱雀帝の許しがあったとなり、至急京へ戻らなければならないことになる。
右大臣という地位が待っていて帝をはじめ皆が待ち受けているが子供連れでは帰れない。
結局は明石の君と別れて光源氏のあとを追う三歳の女の子だけを抱いて京へ行き、紫の君が待つかつての邸(やしき)に様々の想いを抱いて去る心を決める。光源氏の一番苦悩の決断であった。
乱暴で飛びとびの筋書きになったけれど、いまにも通じるさまざまの人間模様、気持のうねり、愛情、少しも変らない世界を見ると不思議な心情になってきて、心憎いほど細やかな芸を見せる光源氏を、遠い昔の人と思えない。

さっと私の横の花道に明りがともって細い道がかっきり明るくなると小さい入口の幕がさっと上る、舞台の中央に進む光源氏の花道だ。
急なことで驚いて私は、そばすれすれに立った光源氏をあっと息をとめ見上げた。彼もこちらを見ればいいものを、まぶた一つ動かさずじっと正面をにらむように見て立止っているここが見せ場であろう。
帝に召されて宮中に上る光源氏の晴れ舞台である、黒の冠に黒の束帯姿で襟元に白と赤の重ね色がなまめいて見え何とも美しくきっと立った姿は、二十三歳のやさ男でない、むしろ、堂々たる偉丈夫という風格さえある、やはり役者は年相応で、年輩の名優が大役をすると顔中しわが目立って自粉を塗っても見苦しい。
年から年中女性で苦労するこんなに後生まで名の残る貴公子はこの位でなければ本物ではないと妙な感心をした。
万電の拍手である。年若い男、女性も随分いて歌舞伎は年寄りの楽しみと思われていたのがこの調子では古代の物語りも再び光りを見るか、と頼もしい。
しゅっしゅと、すそさばきの音がする、静かな足どりであった。私は、自分の息子の晴れ姿を見たように目頭があつくなった。
“お母上”、やっとこの役を頂きました。”と彼が言ったら“よくぞ辛抱して右大臣の場におのぼりなさいました”と私が手をさしのべはげましてやってもいいが……と思うほど近々に立っている。
舞台で演ずる役者を見れば只の舞台でしかないが、そばに立つ、鳥帽子姿も凛々しくきつぜんとしたのを見れば、成長したものと何度も何度も見上げたいのだ。
多分この俳優は大成するであろう。親の名でなく、見事な演じ方は一年一年が楽しみだ。
私が首を少しねぢった時、何の調子でか、昨夕あわててつけて来た補聴器がほんの僅かずれたようだ、大変微妙にできているから充分注意してと店からきいていたが、突然その器具がピピッと鳴った。
少しばかりずれましたよ、という知らせかも知れない。
あわてた私は補聴器をぐんぐん耳の中に押し込めた。耳の小さな穴に小さい機械は中々すんなり入ってくれない、押せば押すほど小さくピピッ、ピピッとしつこく鳴る。
再びあせった私は両手で片耳を覆った。それでも外へは聞こえていたか周りの人々が、「しっ、しっ」
と私をにらむ、うらみがましいその目つきや表情までも闇の中でハッキリ見える気持がして生きたそらがない。光源氏は私のピイッという音に合わすように、一歩一歩、足音をたて舞台中央にゆうゆうと進んでゆく。まるで私のピイッは歩き始め!号令のようにきこえて私の頭は真空になった。はずせばいいんだ、気づいた私は耳からむしり取った。美しい舞台絵巻が演じられて熱気は溢れている。
やっと安心して私は汗をぬぐった。今迄舞台でやったことのない「源氏物語」の須磨、明石の場は、光源氏が三歳の女の児を抱いて京へ上る、までで終る。花も実もあるしっかりした舞台であった。
多分来年も、五月の恒例「団、菊」祭りと言われる団十郎と菊五郎の舞台にこの続きをするのであろうと、今から私は待っている。成長いちじるしい人間の一年を待つのは楽しい。
源氏物語はほんの端じっこしか物語りを知らないでいたがじっくり本を読んでみたい、今はわかりやすい現代語で実に丁寧に記されているから不勉強の私だってわかるだろうと思う。
ホテルに戻ってもまだぼんやりしている。窓のカーテンを開ければ満天の星、十八階の私の部屋からもまだ見上げる高層ビルの窓の明かりは全部煌々と外へ流れて不思議な気分がする。都会の夜はねむらない、とはこのことか何というすさまじさ。眼下に見える車の列は晝間と全く変らない。
私はまだ背中に光源氏を背負っている。夢さらぬと言うのに、前とうしろ、今と昔がつながった思いだ。
源氏の君にまどわされて私のもう一つの夢の深大寺そばは断念した。小さい山寺の中で老夫婦が実においしいそばと串だんごをひっそり作っている。一口食べて私ははっとした。そばの打ち方、だしのよさ、こんなおいしいのを食べたことはない。私は二度食べに来て、ついでに串だんごも買った、これも又大変なおいしさ。誰も客はなかったけれどいつも売っている。
ずっと昔のことだったが。
よくよく知っている人だけ来るのであろう。私は何十年も楽しみにしていたのに、時間がなくて失敗した。
何しろ、昔のだんごのことだから或いは消えたかも知れない、それに替えてもうひとつ別の楽しみを持たせてくれたんだと涙をのんだ。
天は二物を与(あた)えないという。光を追った私は、そばに心を残しながらさようならと言った。

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