カルチャーと健康

98歳ミチおばあちゃんのエッセイ

桜の花の咲くころ

 連日暑い日が続いて土はカンカンに乾き、花はげんなりと頭を下げている。何という好天つづき、夜空の月の色は冴えるが、勝手なものでこう続いては
「お前さん少し引っ込んでよ、たまに連休でいいんだよ」と、どなりたくなる。
 近くの農家では、三日三晩ドンドン大雨降りつづけてもいいでねえかと集まると文句を云っていた。
 わが家のトマトは青く小さい実をつけてるんだけど、全く太りも赤くもなるけはいはない、私は庭に出て、じょうろに入っていた水を根元にかけてやった。僅かの水は何のたしにもならないが、一滴でもとふりかけ、うしろに一寸向きを変え、じょうろを台に置こうとして、突然体か横倒れした。思いもかけない突然のことと油断があったが、ほんの僅か、つっかけの先が石にぶつかったらしい、私はよくころぶくせがある。運わるく庭なのに立木も、つかまる大石もない、あぶないと思うまもなくどしんとブロックの磐の上に転倒した。ぶつかった所は、以前の手術した個所で体の中に鉄の機具が入っている。一番恐れていた所に真正面にぶつかった気がした。
 何時もの倒れ方なら、ヤレヤレと苦笑して立上りさっさと歩いてみる。大したことはない。それですんでいたけれど、今度は激しい転び方でなくフワッと落ちたようだが、いきなり、猛烈な痛みが走った。
「痛い!痛い」と叫んで右の太腿をしっかりなでたが、体全体しびれて手が上らなく体も痛くて動けない。
「助けて下さーい」と、手をムリに上げて叫んだけれど人の姿は全くなく、古い坂塀にも叫び、強固に作った裏の塀にもさけんだ。片方は私の住居だ、人の通る道は、前面の低い塀の外しかなく、体は仲々その方に向かわない。
 右脚が一部みるまにふくれてきた。何がどうなっているかわからないけど激痛で何度も手を振ってみるが、通り過ぎる車の人は前面しか見ないし、まさか歩く人は、人の家の塀の中を覗きはしないだろう。
 どの位いさけんだが、急にねむくなってきて痛みは消え、体が、ガクンとうしろに倒れた、いい気分になった。夢心地でぼうーとなった時、突然これは気を失うのでないかと気付き満心の力をこめて体を、少し動かした。
 呼べどさけべどとはこのことだろう。買物の奥さんもたまに通る。下校の高校生の声もきこえたが、私の妙な声は届かないらしい。三回目の無意識になった時、私は死ぬかも知れないと覚悟した。庭の草の中にひっくり返って腕を時折持上げて振り上げるだけ、人に声がきこえているはずはない。自分の気持では二時間も叫んだように思えた。急に一粒、二粒雨がきて、夕方のけはいだ。何時もなら近くに住む娘が毎日顔を見にくるのだけれど、まだ来ない。全く人通りは絶えた。
 そのとき前面の低い木塀の前を背広姿の青年がゆっくり歩いてきて何気なくこちらを向いた。それに気付いた私は、全身の力をこめてよろよろ手をふった。
 その人は一瞬とどまったようだったけれど又すたすたと歩き始めた。だめだった!もう手を上げる力は全くない、その時、行きすぎた青年が何に気付いたのか足を止めてじっと私の方をみている、私は少し手をふった。
 くるりと向きを変えたその人は戻ってきて我が家の門から走ってきた。べったり倒れている私をみつけて「連絡する人は?」と高い声できいた。お向かいのパーマやさんを呼んで下さい、力なく言うと、飛んで行って見慣れた彼女を引っぱるように連れてきた。
 その顔を見るなり、「娘を呼んで。痛みどめを早く持って来て」とそれだけ云って私は目をつぶった。
 男の「救急車を早く」という声とピーポーと鳴る車の音が交互にきこえ、救急車の人が私を起そうとして全ての痛みに口がきけないのを見て
「血圧が計れない程高い、いぢるな危険だぞ布にのせて静かに車に入れるんだ」という声がかすかに聞えた、鋏で服を切る音もおぼえている。それでも心の中から最後の力で、
「見つけて下さった人の住所と名前を必ず聞いて」とパーマ屋の彼女にしっかり頼んだ。必死で頼んだのにその人は、事の始末を見るとホッとした様子で立去ったと、あとで聞かされた。
 大した事である前にと自分で思ったがそうは簡単でなかった。再度同じ場所を手術するのである、前の手術で入れた機具が体に入っていて骨はその一センチ離れたところから折れているので仲々困難と、相談がつづいたという。当初は全身麻酔で始めて後半は局部麻酔でしたのだという。
 手術の後半、医師が背中をもっと曲げてと何度も云って亀の子のように息をつめて丸まり、もう少しと云われて、これ以上出来ません、と答えたのをおぼえていた。何とかして、歩くのは無理でも車椅子にせめて乗れるようにしてやりたいと医師が言っていたそうだ。
 私の高血圧と心臓の加減で手術が二日間のびた。

 ぽっかり目が開くと娘が目の前にいて驚いた。名前を呼ぶと彼女はひどく驚いた表情で、
「お母さんが気がついた!」と他の人に言っている。よかったよかったと口々に言っているようだけど、私には意味がわからないが、これだけの手術ならば最悪のときは、意識障害を起すか、運がわるければ、元に戻らないときもあるそうだ。不思議に痛みは全くない。周囲の事はわからなかったけれども右足だけは別もののようにびくとも動かずくっついていた。
 医師は、一本の足が三か所も折れているのを見て、どんなにか、苦心したのだろう、車椅子は大丈夫と娘から知らされた時、私は思わずぐっと胸にくるものがあった。一生涯誰が私の車椅子を押すだろうとなやみもした。
 普通の骨折なら、二、三か所で何とかなるのにと医師は、毎週のレントゲンを見て言うのだった。
 それからの日々、私はさまざまの夢や幻影になやまされ、うなされた。目をつぶれば、不思議な世界が拡がってくる。亡夫も来たし、何十年前に死んだ母も深い竹薮の中からスーッと出て来て私を待っている顔をしていた。じっと立っていると、母は、昔着ていた見おぼえのある縞の着物に黒のちゃんちゃんこを着て、黙ってその暗い暗い竹薮の中へかきわけて入って姿を消した。
 もう少し生きていなさい。という表情だった。一言も声はきかないけど、年老いた昔のあのままの姿だった。
 深い深い濃緑の古池に沈んでいる私は、ヒラヒラとわかめのようにぬれて動く髪の毛に驚いて水の中で見上げると、息子の悲しそうな目が水中をのぞいている。私に早く水から上がりなさいと手を握っている、相手の目もぬれているように見えた。
 ふと見ると、私の寝ているベットのとなりにもう一つレース状のカーテンに囲まれた一角があり、そこには、今まで私を世話してくれた沢山の若い看ゴ師がぎっしり棒立ちに立たされて必死の叫声で私を見ている。その表情はすさまじく恐怖と哀願と絶望と様々で、囲りを重装備に、腰にも沢山危険なものが下って実戦さながらの野武士のような毛むくじゃらの外人兵が、ぎっしり取りかこみ一触即発の緊迫した表情である。その原因は私にあるらしく奴等はこちらをねらって眼光はするどい。
 彼女達は殺される、あわやという空気の中で私は特大のピストルをひげ面目がけてうとうとした。

 「ご飯ですよ、余り昼寝が長いと夜ねられません、又血圧が上がります」看護師が私の肩をゆすった。
 しばらく興奮がさめやらずまわりを見れば、泪を流して哀願していたはずの彼女達が甲斐甲斐しく検温したり配膳したりと陽気である。皆を囲んだレース状のろう獄のような布と、そっくりなカーテンが四人部屋の中でそよそよと風に搖らいでいる。
 私は連日、高熱で幻が見え、うなされたり笑ったりした。とうとう血圧は二百ミリを突破して、医師は、頭が痛くないか、胸がわるくないかときき、全く何でもないと答えると、内科の診療に回され異常はないけど要注意とされた。
 雲一つない青空である、浮いたようにふわりと綿状の雲が近づいて来た。私はこれに乗り、空に昇って北朝鮮に行くことになっている。次は朝鮮に行き、その次は中国へ行く予定だという。雪野原のように一面の空は果てしなく、白い浮雲に乗って杖を持ち只一人、さながら孫悟空のような心で目的地へゆく。心は夢のように、ひたすら大きく漠としたものだった。

 「ご飯に手をつけていませんね、薬の時間です」さっきと違う若い彼女に又ゆり起されて目ざめた。私は夜となく昼となくねむり、始終
「早く私を日本へ帰して下さい」
「私の故郷は北海道です!早く帰して下さい」
何度も大きい声で、ねむり乍らで哀願をしたそうだ。
 苺が目の前にとんでくる、本気で取ろうとベットから起きかけたり、お菓子をあげるから口を開けてと云われて大口を開け、うっすら気付くと人は居ない。すぐ夢と気付くが防ぐすべもなかった。重苦しい意識の混だくはしばらく続いたが、やっと最近昔のままの自分になったと思う。それらをしっかり診ていた執刀医は
「桜の花の咲く頃迄には歩けますよ」と私の目を見て言ってくれた。穏やかできれいな笑顔に見えた、その言葉を熱く受け止めて私は今度は、ロシヤも北朝鮮にも行かず、落着いて杖を持ち、桜の花を見たいと思う。リハビリ場で、母親のような年の私の体をしっかりつかんで練習してくれた女先生の顔は明るい桜の色だった。


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